鞍馬山の信仰

鞍馬山の信仰は、尊天を信じ、ひとりひとりが尊天の世界に近づき、ついには尊天と同一するために、自分の霊性にめざめ自分に与えられた生命を輝かせながら、明るく正しく力強く生きてゆくことにある。

宗派にも人種にも国境にもこだわることなく、ひとりひとりの真のめざめと、共に生かされている万物の調和を祈るのである。

また「生活即信仰」を合言葉に、
「非行悪言を慎しみ、己を完成する。真実誠心を以って、世に尽くす人となる。尊天より御力を戴きて、強き信念に生きる。」
と言う 「信仰の三ヵ条」を指針とし、このような生き方をする人が増えて、ろうそくの灯りが周囲を明るく照らすように、世界中が明るく豊かになることを理想とする。

※鞍馬山入山時に頂く鞍馬山案内書引用

鞍馬山・鞍馬寺に訪れるようになり、なぜ惹かれるのかな〜と思っていました。「くらま」という書があり、1月号の中に宗務総長の信樂 香爾さんが書かれていた、”鞍馬弘教についてー初代管長が目ざしたもの”を読ませて頂き、宗教のこと、戦争のこと、人種のこと、ご縁のある人のことなど、いろいろ勉強させていただきました。わたしが呼ばれてるのは、こういうことを理解するためなのかなと思います。

”鞍馬弘教についてー初代管長が目ざしたもの”の中から、みなさんに少し紹介したいと思います。

立教開宗の目的

それでは先代はどんな思いで鞍馬弘教を立教開宗をされたのか。
わざわざ独立してひとつの宗派を立てるというのは大変なことです。
もっとも、その時代は結構新しい宗派が出来た時代でもあるんです。
戦後すぐというのは、四天王寺さんの和宗ですとか、浅草寺さんの聖観音宗とか、みんな同じ頃です。

先代の思いは「立教開宗奉告祭」という法要を修された時の奉告文に記されていますので、それをご覧下さい(立教開宗奉告文)。
去年の鞍馬弘教立教開宗六十周年の時にも、ご披露しました。
これを読みながらご説明いたします。

ことばづかいが非常に難しいなあという感じですが、ひとつのキーワードは
「統一的世界観実体集教」と、もうひとつは「宗教即生活」です。

この統一的世界観実体集教、言葉にすると難しいですが、いろんな人種とか宗教とかの違いを超えて人間として共通する普遍的なものを信じてゆきたい、真理を信じてゆきたい、本当のことをみきわめるために、宗教も超え、人種も超え、国境も超えて、みんなが求めるべきものを求めてゆきたいと先代がよく仰有っていたと聞きます。

戦争でみんなが大変苦しい思いをした、もうこんな苦しみは嫌だということの裏返しもあるでしょう。
けれど、基本はやはり真理を見つめてゆきたいということだと思います。

この宗派が栄えるようにとかということではありません。
宗教は排他的になり易いんですが、そうではなくて、いろんな違いを認めつつ、みんなが目ざさなければならない真理を目ざしてゆきたいという風に思われたのが、この「統一的世界観実体集教」という言葉に端的に表されていると言えます。

それから、「宗教即生活」、いろいろ話をしたり、勉強したり、頭の中で考えることは出来るのだけれど、それだけではなくて一番大切なのは、そういう真理を求める、真の幸福を求める生き方を実践するということ、自分がそう生きるという教えです。
これはなかなか難しいことです。

「七佛通戒偈」というお経があって、そこに「諸悪莫作 諸善奉行」と書いてあります。
もろもろの悪を作すことなかれ、もろもろの善を行いなさいというのです。
当たり前のことですが、自分の生活を振り返った時にそれが出来ているでしょうか、「ああ、出来ていないかも知れない」と思いますよね。

宗教というのは盲目的に何かを信じて―― 信じるのは大切ですけれど、自分で何も考えることをせず、何かについてゆくというのとは違うと思います。
自分で考えて自分でどう生きてゆくのかという、その指針になるもの、それが宗教ではないのかと思いますし、それを自分の生活から作りあげてゆくというのが大切だと仰有ったのが、「宗教即生活」「生活即信仰」という言い方もしておりますけれど、そういうことです。

鞍馬弘教の使命

去年の六十周年の折にも、教導師さんとこの奉告文を読んで先代の遺志をしっかり理解して、今の時代、それをどういう風に人にお伝えしていったらよいか、この教えを信じなさいというのではなくて、どういう風にしたらよいか、それを考える初めの年にしましょうねというお話をしておりました。
もう一度元に戻って、先代は何のために鞍馬弘教を立教開宗されたのか、簡単な言葉にすればどうなるのか、奉告文を何度も読んで、五行目の「ここに當って」から七行目「信ずる」までがとても大事だと思います。
簡単に言えば「社会人類を救う」「人類救済」を目ざされたのだと思います。

もう少し身近な言葉で表すと、ご縁のある人、「ひとりひとりに本当に幸せになっていただく」ということなのかなと思います。
みんなに幸せになっていただくことが私たちの使命であるということです。
何が幸せなのか、難しいですね。
でも、縁ある人にそういう風になっていただくことが鞍馬弘教の存在意義であり、教導師の使命、役割であると言うと分かり易いと思います。
本当に幸せになっていただくという言葉で言い尽くせるかどうか分かりませんが・・・。
それが理念、目ざすところです。
そのためにはどんなことをしていったらよいのかは、これから改めて考えてゆかねばなりません。

極論を言えば、鞍馬弘教でなくともかまいません。
宗派は何でもよいし、いや、宗教でなくともよい。
本当にその人がその人らしく、生き生きと過ごすこと、毎日を積極的に生きていただくことが大切です。
現実の世の中は格差が広がったり、一旦落ちれば這い上がれないとか、なかなか理想通りになっていません。
ワーキングプア、日雇い派遣など一生懸命働いても全然お金がなくて苦しい思いをしている方がいっぱいです。
そんな時代にみんなが幸せになれる場、国ー浄仏国土がこの世界に出現することが究極の目標かも知れません。
それは、みんなに幸せになっていただくということです。

先程の生活即信仰というところを実践されている方、信徒の中にも、私たちが見習うべき方がたくさんおられます。
「ご尊天さまのお蔭です」とそれだけしか考えずにお仕事をなさっている方が大勢いらっしゃるのです。
そういう方は、それぞれの場で活躍しておられます。
本当の宝もの、幸せを得ておられると思います。
人のお役に立つことで自分が活き活き出来る、自分らしさを発揮できる、そんな風になっていただくきっかけを差し上げることが出来れば本当にいいなあと思います。

鞍馬弘教の詳しい教えについては、これから勉強を深めてゆきたいと思いますけれど、先代が立教開宗に当たって思いを述べられた言葉「奉告文」をもう一度、皆さんにお示しして、何が大切なのか、鞍馬弘教の特徴は何なのかということについて考えられればと、拙いお話をさせていただきました。

※「くらま」1月号 ”鞍馬弘教についてー初代管長が目ざしたもの”引用

この書を読ませて頂き、みなさんにも知ってもらいたく掲載しました。
わたしなりに簡潔に書こかと思ったのですが、引用させて頂く方が間違いなく、みなさんに伝わると思います。

わたし自身宗派が違うのですが、上記にもあるように、宗派や人種・国境にこだわることなく、また人間だけでなく自然(木・川・海)や虫・動物も共に生かされていると思います。
親、兄弟、家族、友達やご縁のある方を大切にし、またわたしみたいなものでも人のお役に立てますよう。
他の国では、紛争や戦争が続いていますが、戦いがなくなり、共に生かされているもの同士調和して、生きていける平和で幸せな世界になることを願っています。

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